協進の仲間たち

2023.04.10 UP

【対談】コンツェリア・ラ・ブレターニャ社 / パオロ氏「信頼と協闘が育んだ30年の歴史。そして未来へ。」前編

世界中の人々を悩まし続けた新型コロナウイルスが少し落ち着いた2022年11月。協進エルと長く、そして深いお付き合いをするイタリアの名門タンナー『コンツェリア・ラ・ブレターニャ(以下:ブレターニャ社)』よりパオロ氏が来日し、協進エルを訪問してくれました。

日本とイタリアという距離を超えて多大なる信頼を寄せ合い、30年に渡って取引を続ける2社の間に流れるものとは? そして互いに対する思いとは? 協進エルの肥沼と田辺を含めた3名が集まり、まるで友人同士のようなカジュアルな雰囲気の中、トークセッションは進んでいきます。

パオロ・テスティ (コンツェリア・ラ・ブレターニャ社)

1961年創業。イタリア・トスカーナ地方で植物タンニンなめしを行うタンナー「コンチェリア・ラ・ブレターニャ」の経営者であり、職人。イタリア植物タンニンなめし革協会の理事も務めている。

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他人のコピーはしない。
内側から溢れ出す「表現したい」に従って。

鼎談に参加するメンバーがまだ集まらないうちに、司会進行役を担当するライターに対し、パオロ氏がブレターニャという会社の紹介、そして革に向き合う自身の哲学を語ってくれました。

<パオロ氏>
私たちの会社は、創業者である私の父の代から変わらず、植物タンニンなめしの革をつくっています。当時からずっと素晴らしい革をつくってきて、さらに私たち兄弟の代になってから、研究開発にも重きをおいて、新しい感性を入れ込んできました。私が日本に来るときは、ブレターニャ社の革を用いることで、どういった製品に仕上がるのかを知ってもらうために、いつも出来上がった商品を持ってくるんですよ。

パオロ氏は、そのフランクで親しみやすい口調の中に、職人としての芯の強さを感じさせます。

そういって見せてくれたのが、ひとつの革製のキャリーバッグです。これはパオロ氏自身が長期の出張に必要な荷物を入れて、イタリアからのフライトをともにしてきたもの。日本ではあまり見られない革製のキャリーバッグに興味を抱いていると、さらに驚きの発言が飛び出ます。

<パオロ氏>
私たちは、バッグやベルトといった一般的な革製品向けの革をつくるだけでなく、『内装部門』もあるんですよ。私が住んでいる家も、床や壁、浴室、照明の傘など、あらゆるところに革を使っています。やはり実際に自分で使って、問題がないことを確認した上で、お客様にお渡ししないといけません。私はその家に8年間住んでいますが、今のところ、とても快適に過ごすことができています。

革独特の風合いや“味”が見事なパオロ氏のキャリーバッグ。

そんな話を聞いている間に、サンタ・クローチェという街にあるパオロ氏のご自宅も行った経験を持つ協進エルの田辺が鼎談会場となるショールームに到着。つづけて肥沼も席に着きます。実は田辺は25年ほど前にイタリアに遊学し、2ヶ月間に渡ってパオロの元で革の勉強をしたとのこと。後編にはその話も出てきます。

勤続25年以上。圧倒的な経験と知識を持つ協進エルの田辺。

持ち前の英語力を活かし、海外タンナーとのコミュニケーションに腕を振るう肥沼。

鼎談メンバーが揃い、話はここから本論へ。まずは研究開発に注力していると話したパオロが、その例として『カモフラージュ』という革を見せてくれました。これは撥水機能に優れていて、アウトドアで使うようなチェアや、バイク用品、また水分を完全に弾くので、室内で飼っているペットが粗相しても大丈夫なことから、ソファなどにも重宝される革とのこと。実際に水を垂らすことで、その撥水力を見せてくれました。

一般的に高い吸水性を持つ植物タンニン鞣しの革に、ここまでの撥水性を持たせるのはかなり難しい技術が必要です。

つづいてはパオロ氏が抱く仕事に対する信念の話になります。その中で、特に彼が強調していたのは、「クリエイティブであり続ける」ということ。もともとの性格もあり、そこには強いこだわりを持っているようです。

<パオロ氏>
私は他人のコピーをしようとはいっさい思いません。そのやり方が正しいかどうかは分からないですけど、自分の信じた道、自分のアイデアにしたがって革をつくっています。だから流行を追うこともやめました。かつてはファッションのトレンドを知るための会合などにも半年ごとに足を運んで「次はどんなデザインが流行るのか」「今年はどんな色が求められているのか」といったレクチャーを受けていたのですが、もう頭が混乱してしまって(笑)。それよりも自分の内側から溢れてくる「やりたい」と思う感情に従うことをいちばん大切にしています。

ただしトレンドを追わずに自分で考えて進むのは、同時にリスクを負うことでもあるとパオロ氏は話します。

<パオロ氏>
私は表面的な流行ではなく、市場の動向のより深い部分を意識するようにしています。それは簡単なことではないですけどね。今となっては、私たちのライバルとなる企業も「今度はブレターニャは、どんなことをしてくるんだろう」と注目していると思いますよ。

自分の内側から溢れてくる
「やりたい」と思う感情に
従うことをいちばん大切に

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小さな展示会での出会いが、
大きな未来へとつながった。

時代の移り変わりや、商流の変化などの影響を受けつつも、30年に渡って途切れることなく続いてきた両社の関係。協進エルにとって、ブレターニャ社とは一体どういったタンナーなのであり、またそもそもはどういった経緯があって、そのつながりはスタートしたのでしょう。はじめにその疑問に答えたのは、協進エルの田辺です。

<協進エル l 田辺>
きっかけをつくってくれたのは、弊社で50年ちかく働いた後、すでに退社した元スタッフ。私の上司であり、師匠とも言える存在です。私が聞いたのは「パオロだから、買うんだよ」という話。もちろん革の品質も大事なのですが、彼は常に「どんな人物がその革をつくっているのか」ということを重要視していたようで、私もそのことを強く意識するように教えられました。

革の仕事を始めて30年近くが経った今も、退社した元上司からの教えが自身のベースにあると語る田辺。

偶然がもたらしたかけがのない出会い。当時のことをパオロも覚えていると話します。

<パオロ氏>
あの出会いはたしか95年のこと。当時のブレターニャ社は、アメリカの企業をメインに取引を行っていました。そんな中で新しい市場を開拓するために、日本へとやってきて、浅草で行われた小さな展示会に出展したんです。

約30年前、今もある『浅草ROX』で行われた展示会には、とてもたくさんの人が来ていたとのこと。数日間でパオロ氏の手元には、2,000枚近い名刺が集まったそうです。

<パオロ氏>
いま考えると、あそこには卸業者だけでなく、デザイナーやスタイリスト、製造業など、非常にたくさんの職種の人が来ていました。みんな私たちの革を気に入ってくれて「これ、すごく素敵だね」と声をかけてくれた記憶があります。しかし当時は輸入ができる業者さんがとても限られていて、ほとんどの人がインポーターの手を借りなければなりません。そんな中で、その展示会に毎日足を運んでくれた元スタッフの方と出会います。彼は英語もイタリア語も話さない。そして私も日本語がわかりません(笑)。それでも目でコミュニケーションがとれました。

ともに誇りを持って革を扱う同士。そこに言葉は必要ありません。

偶然の出会いを果たしたふたりの間には、すぐに言葉を超えた信頼関係が築かれたようです。

<パオロ氏>
あの時私は20代中盤で、経験も浅い状態。展示会に想像以上に多くの人が来たことで混乱してしまい、イタリアにいる父に「どうしたらいいの??」と連絡をとるほど未熟でした(笑)。そんな中で彼は、私たちの『ガウチョ』という革に非常に興味を持ってくれてました。そしてまだ若くて実績もない私のことをとても信頼してくれて、展示会の後、すぐにコンタクトをくれたんです。私はそのことに、とても感動を覚えます。あれから長い時間が経ち、いま私はあの時のスタッフの方と同じくらいの年齢になりました。その上で、まだ何も知らない20歳そこそこの若手のことを、あれだけ信頼できるかと言われるとなかなか難しい。やはり今があるのは、すべてあの出会いのおかげですね。

パオロ氏と出会った時に渡された『ガウチョ』のカタログが、協進エルのに大切に保管されていました。

もうブレターニャ社にも残っていないというそのカタログを見て、パオロ氏も大興奮。

ふたりが出会いを果たした展示会の後に入社し、そこから約25年、協進エルに勤めている田辺にとって、ブレターニャとはどういう存在なのでしょう。

<協進エル l 田辺>
当然ながら弊社ではブレターニャ社以外にも、たくさんのタンナーさんと取引がありますが、その中でもパオロをはじめ、ブレターニャ社の人たちはとにかく誠実で、とても勉強熱心ですね。先ほども話にあった我々の上司が「誰から買うかが大事」と話していたのが、今となってはよく分かります。そしてミスをした時に、必ずそれを認めてくれる。これはイタリア人にしては珍しいことなんですよ(笑)

その印象に対して、パオロ氏も応えます。

<パオロ氏>
仕事においては、誠実でなければならないということは、父から教わりました。実際に私自身も、長い年月の中でその重要性を実感しています。そして人間は必ずミスを犯すものです。でも大事なのは、そのミスを認めて、よりよくするために努める姿勢じゃないでしょうか。それを続けてきたからこそ、私たちの製品もよくなってきて、協進エルのためにもなっていると思います。田辺さんが話した通り、現状に満足せず、常に学ぼうとする意欲があるのが私のいいところかもしれません。そうして得たノウハウや知識を、協進エルの方々にもお伝えしてきましたよ。

現状に満足せず、
常に学ぼうとする
意欲がある

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ともに悩み、ともに挑んだ日々。
それが結果として表れた。

浅草ROXでの出会いから30年。互いに絶対的な信頼を置く両社には、ともに力をあわせてものづくりに励んだ無数の経験があります。その中には、協進エルのクライアントから入った難しいリクエストに対して、ブレターニャ社が諦めずに挑戦し続けてくれた結果、注文が途切れることのない人気の定番品となったことも。協進エルの肥沼がひとつの案件を回想していきます。

<協進エル l 肥沼>
ある時、私たちのクライアントからのリクエストがどんどん厳しいものになっていったことがありました。そのオーダーに応えるのが非常に難しくて、私もイタリアまで行き、パオロと一緒にずっと「ああでもない、こうでもない」と悩み続けて。それにパオロは最後まで付き合ってくれたんです。そういったところもブレターニャ社のすごくいいところですよね。他のタンナーだと、なかなかここまで対応してくれません。でもブレターニャ社の場合は「だったらこうしてみよう」みたいな感じで、いろいろと提案をしてくれて粘り強く対応してくれる。どれだけ難しいオーダーでも、諦めずに一緒に考えてくれますね。

顧客のリクエスト実現に向けて苦悩した日々を思い起こす肥沼。

パオロにとっても、すこし苦々しく、しかしそれが故に、大切な思い出になっているようです。

<パオロ氏>
あれは本当に大変だったね(笑)。僕も肥沼さんも悩みすぎて、夜も寝られずに「どうしたらいいんだ……」って考えていました。あの時に肥沼さんの言葉から伝わってきたのは「絶対にこの革をつくりたい」という“熱意”です。革の質感を変えるのはシンプルなことではなく、鞣し方やオイルの配合など、何度も繰り返さなければいけない。しかもそれには非常に長い時間が必要で、試作をつくるだけでも1ヶ月近くかかります。しかしあの時は「何をどう変えるべきなのか」という肥沼さんらのインフォメーションがとても的確だったので、最終的にオーダー通りのものが出来上がったと思っていますよ。

伝わってきた“熱意”に対して、パオロ氏は同じく“熱意”で対応しました。

そんなふたりの回想録に、田辺も共感したようです。

<協進エル l 田辺>
「タンナーに対してどのような指示を出すか」というのが非常に難しい。そのテクニックも私たちが持っているノウハウなんです。単純に英語ができるだけじゃダメで、革に対する幅広い知識が必要で、あの時も肥沼のその力が発揮されたんだと思います。あとやはりブレターニャ社もすごいですよね。ハードなものからソフトなもの、さらに撥水などの機能性を持ったものまで、こんなに幅広いバリエーションを揃えるタンナーは他にはなかなかないですから。

そしてその成果は、結果として表れています。

<協進エル l 肥沼>
クライアントの要望通りの革ができなかったら、いつか注文は途切れます。でもあの時に頑張ってつくったものは今もずっと注文が来ていますからね。皆さんご存知の某人気カバンメーカーの棚にも今でもその革をつかった商品がズラッと並んでいますよ。

充実した表情でそう語るのは肥沼に、田辺も続きます。

<協進エル l 田辺>
私たちが意識しているのはそこなんです。つまり最終的に出来上がった商品が売れ続けるということ。それが実現すれば、タンナーに対してもずっと注文を出せるし、みんなが嬉しいですよね。

最終製品になった時に売れるもの。それが田辺が考える“いい革”の定義です。

今でも1日に1通は必ずメールを送っているという関係を築くまでには、幾多の困難があったことが分かりました。この話をまとめとして、パオロ氏が語ります。

<パオロ氏>
今話題になっている難しいオーダーの時は、確かに大変だったけど、肥沼さんたちが「ブレターニャなら絶対にできる」と信じてくれていたからこそ、要望を出し続けてくれたんだと思っています。そこからずっと注文は続いていて、現在では厚みや裏の仕上げなどをすべてシステム化することで、量産できる体制ができあがっているんですよ。

伝わってきたのは
絶対にこの革をつくりたい
という“熱意”です

(後編へ続く)